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PARCO SHIBUYA 50th

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Interview

Ramdane Touhami

ラムダン・トゥアミ

ホームレスだった少年は、あふれ出る自由なアイディアを武器に世界中を魅了するユニークで唯一無二なクリエイターへ。彼の名前は、ラムダン・トゥアミ。2021年にLVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトングループに自身がオーナーを務めた「OFFICINE UNIVERSELLE BULY」の事業を売却。現在は、食器ブランド「Christofle」をはじめ数々のブランドディレクションやカフェ、ホテル、印刷会社などをプロデュースする今もっとも注目を集めるアーティストだ。
「SHIBUYA PARCO 50 TH ANNIVERSARY」を記念したロゴや10作品のビジュアルを手がけた彼へインタビュー。無限に組み合わせ可能なモジュラー・システム・ロゴのデザインに込められた想い――それは、「渋谷はとても変わったけれど、渋谷PARCOはずっとここにある」というメッセージ。

Text : Hisako Yamazaki
Interpreter : Ryosuke Maeda
Edit : RIDE inc.

「“本物”というコンセプトが、僕はすごく好き」

2016年に「OFFICINE UNIVERSELLE BULY」を代官山にオープンするために、家族5人で東京・神楽坂へ移住した経験も。まずはじめに、日本そして東京の魅力を教えてください。

実はそれ以前にも、東京に住んでいたことがあるんだ。なぜ僕が日本を好きかというと……なんと言っても、夕方の5時までは誰にも邪魔されずに自由な時間を過ごせるから。もう、それが本当に天国! パリに朝が訪れると、どうにもならなくなってしまうほど連絡が来てしまうんだ(笑)。また、東京にはいろんなジャンルに“オタク”がいる。それがすごく好き。僕にとっては、東京は大都会というより無数の小さな村の集まりのように見える。様々なニッチなジャンルのオタクが無数にいるっていうのが、すごいなと思います。

日本で何か衝撃を受けた出来事はありますか?

日本ではショッキングなことがなにもないというのが、衝撃的なこと(笑)。1999年に「ageHa」というクラブに行ったとき、コギャルたちが踊っているのを見たのが、もしかしたらいちばんのショッキングな光景だったかもしれない。あとは、暴走族の取材で千葉に行った際、さらわれそうになったことがあって……。

暴走族の取材ですか?!

彼らと仲良くなりたくて(笑)。一緒に遊びたかったから、インタビューと称して取材を申し込んだのです。彼らは大きなバイクに乗って、日本刀を持っていたりして。「ワォ! すごいな〜」って思った(笑)。普通にしていたらあんまり見えてこない、こういう日本のサブカルチャーにもすごく興味があるんだ。

暴走族と友だちに……などの面白い経験を通して、日本で吸収したことがアイディアのインスピレーションとして生まれたものはありますか?

“本物”というコンセプトが、僕はすごく好き。日本人が何かものを作るときに、いちばんいいものを作ろうとする、ベストを尽くそうとする、その考え方を“本物”だと僕は理解していて。その「本物を作ろう」という考え方が、とても素敵だと思っています。日本でモノ作りをするとき、もう本当に細かなディテールに1時間もかけようとする人が必ずいて。「そんなの気がつかないからいいよ…」って思うこともたくさんあるけれど、その細かいこだわりを見つけたときに感動する。渋谷PARCOでも、たとえばトイレのロゴに至るまで、本当に細部までこだわりが貫き通されていて、すごく素晴らしいなといつも思います。

「渋谷はとても変わったけれど、渋谷PARCOはずっとここにある」

今回、SHIBUYA PARCO 50TH ANNIVERSARYロゴを制作するにあたり、何を感じましたか?

僕は80年代にPARCOのロゴを手がけたデザイナー・彫刻家である五十嵐威暢さんのファンなんです。彼の仕事をすごくリスペクトしていて。五十嵐さんの作ったロゴを見て、1930年代に活躍したグラフィックデザイナー カッサンドルの作品も思い出したんだ。今度は僕もリスペクトする先輩デザイナーたちに刺激を受けながら、50周年のロゴが作れたことはとても楽しい経験だったよ。

1973年から2023年の現在に至るまで、渋谷PARCOの10作品のビジュアルも主宰するデザイン会社「Art Recherche Industrie」にて制作されましたね。5年ごとに遷り変わる時代背景に合わせたイラストが、とても懐かしく、そして新しくも見えました。

本当は70年代のPARCOの広告をオマージュしたかったんだ。当時のモデルを見つけ出して、50年後のいま同じ場所で撮影をする……ということをやりたかったのだけれど、予算が合わなかったので、このような手法で表現したんだ。根本にあるメッセージは「渋谷はとても変わったけれど、渋谷PARCOはずっとここにある」ということ。70年代のヒッピームーブメント、ニューウェーブのパンクの時代、そして80年代に入って一世風靡したビデオゲーム。90年代前半は漫画が流行し、90年代後半は渋谷でDJカルチャーが生まれ、バブルの時代はみんながタクシーに乗るのが当たり前……という感じで。渋谷の街は移り変わりが激しく、流行しては消えていった渋谷のムーブメント――渋谷の街と渋谷PARCOとみなさんが紡いできた50年間の思い出を10枚にまとめたら、こんなふうになるんじゃないかなって思って。

ラムダンさんにとって、渋谷はどんな街ですか?

はじめて僕が渋谷に行ったのは、1996年。金曜日の夜には、「HARLEM」に遊びに行ったりした時代だったね。たくさんのクラブがあったけれど、もうほとんどクローズしてしまった。僕は、いわゆる夜の渋谷で遊ぶことが多かったので、夜の渋谷の記憶がたくさんあります。でも正直にこれはお世辞ではなく、いま僕が渋谷に来る理由は「渋谷にPARCOがあるから」。渋谷PARCOは、僕が好きな「NEXUSVII.」などのブランドがひとつのビルに入っている。今回も服も持たないでパリから来たので、「PARCOで全身を買い揃えなきゃ!」と思っているんだ。

渋谷PARCOは、いろんな世代が楽しめる場所だということですね。

おもしろいことをやっているブランドを東京中探し回らなくても、ひとつの場所で見つけて、買えるのが渋谷PARCO。その上、映画も観れるし、観劇もできるし、美味しいご飯まで食べられる! 僕みたいなめんどくさがり屋には、本当に便利なビルだよね。

「クリエイティブという行為ほど、自由なものはないと思っている」

クリエーションに関してお伺いしたいのですが、デザインの勉強は独学で?

学校には行っていないから、自分で勉強をしたのかもしれない。デザインを始めたのは、本当にアクシデントだったんだ。高校のときに思いつきでTシャツを作ってみたら、それがうまくいって。ビジネスとして成功した。僕はこの出来事を、“BEAUTIFUL ACCIDENT”(美しいアクシデント)と呼んでいるんだ(笑)。それで、「あっ、僕には才能あるんじゃないかな」って思うようになって。クリエイティブという行為ほど、自由なものはないと思っている。使うのは自分の脳みそだけ。それも、たったひとりでもお金を稼ぐことができる。英語では、神を“クリエイター”と言うのだけれど、本当に神のような行為だなとも思うよ。

クリエーションをする上で、大切にしていることはありますか。

クライアントや見る人がどう思うか……そんなことは全然、僕には関係がないんだ。25年間ずっと、思いつきだけで仕事をしていたっていう気持ちもあるけれど、自分のなかでいつも大切にしていることは、「僕がそれを好きかどうか」ということ。それが唯一の仕事における判断基準。僕が本当にすごく好きだったら、相手に対しても、本気で説得ができるからね。

1643年に誕生したフランスのキャンドルブランド「Cire Trudon」は、ラムダンさんが「OFFICINE UNIVERSELLE BULY」前にリブランディグされて大成功しましたね。グラフィックだけでなく、香りのクリエーションもご自身が手がけたのでしょうか?

「Cire Trudon」をやろうとしたとき、世界中のパフューマーに声をかけたのだけれども、誰からも“YES”と言ってもらえず、香り作りを一緒にやってくれる人が見つからなかったので、自分でやることにしたんだ。そしたらすごくうまくいって、事業が成功してしまった(笑)。最初、6種類のキャンドル作って「これがいちばん売れる、これが2番目だ……」って自分の感覚で考えていたら、まさにその通りに売れて。今でもベストセラーは、その6種類なんだよ。「Cire Trudon」の成功は、人生2回目の“美しきアクシデント”(笑)。「グラフィックは、そこそこできる」と自分でも思ったんだけれど、「Cire Trudon」をやってみて「香りも結構、実はセンスがいいんじゃないか」って発見したよ(笑)。

「OFFICINE UNIVERSELLE BULY」も同じように、自分を信じた自由な発想ですか? ビュリーの香りも、まさに同じ作り方ですね。

「すごく良いアイディアだったな!」って自画自賛したいのは、アルコールを使わずに水で香水を作るのを思いついたこと。ほかの人のためではなく“自分のためのフレグランス”というのも、我ながらいいアイディアだったなと思う。それは香水にとって、大きな革命であったから。そして、そのアイディアは、今ではみんなにコピーされている(笑)。でも、僕は大丈夫! いくらでもコピーしてくださいって感じだよ。僕はほかに100個のアイディアを持っているので、全然気にしないんだよ(笑)。ひらめきは無限に出てくるから。アイディアがあふれ出してノンストップなところに、ちょっと自分でも困っているぐらい。

ラムダンさんの仕事に対するモチベーションはどこから生まれますか?

なんだろう……それは全然わからないな。モチベーションなんて、僕は考えたこともないから。「なんでこれをやっているのか?」と考えるようなタイプではなくて、ただやるだけ。中長期的な目標を立てることも一切なく、とりあえずやってみるだけ。目標を定めてしまうと、そのぶん自由が失われてしまうので、楽しむためには目標がないほうがいいと思っていて。なんか僕は、ほかの人から見るとちょっと馬鹿っぽく見えるらしいので(笑)、「こいつでもできるんだったら、自分もできるんじゃないか」って、僕を見る人は考えると思うんだ。でも、そう思ってもらえたら僕はいいなと!

いま、なにをしているときが楽しいですか?

それ考えると、いつも同じ答えしか浮かんでこなくて(笑)。“試作品の箱を開ける5秒前”というのが、僕にとっていちばん最高のとき。もうちょっと若い世代がわかるように説明すれば……SNSでものすごくキレイな女の子と友達になって、実際に会うことなった5秒前(笑)。もしかしたら、彼女の写真の顔はすごく加工されているかもしれないけれども、会う“5秒前”っていうのはいちばんワクワクするとき。「もうこの写真通りだったら、本当に最高じゃん!」って期待するでしょ(笑)。

最後に、渋谷PARCOの50周年のアニバーサリーにメッセージをお願いします。

ほかのお店とはまったく違うことを50年も続けている。これからも同じように続けていけば、これから先また50年経ったとしても、渋谷PARCOはどこにもない独自のお店であり続けると思います。もし僕が80歳まで生きていて、そのときもかっこいいものが好きだったら、「渋谷PARCOに行けば、おもしろいものに出会える」と思える場所でいてほしいな。

PROFILE

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Ramdane Touhami ラムダン・トゥアミ

1974年、フランス・モントーパン生まれ。モロッコ系フランス人。17歳で高校を中退。高校時代にTシャツブランドを創業。パリに移住し、一年ほどホームレス生活を過ごす。1996年、デザイナー ジェレミー・スコットらと立ち上げたコンセプトストア「L’Epicerie」をパリにオープン。2000年「And A」のアーティスティックディレクターを努めるため日本へ移住。その後、英国老舗百貨店「LIBERTY」のバイヤーに。仏最古のキャンドルブランド「Cire Trudon」の再生に携わったり、モロッコのレストランのオーナーを経て、2014年「OFFICINE UNIVERSELLE BULY」のオーナーへ。1号店をパリにオープンする。2021年、同ブランドをLVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトングループへ売却。現在はビュリーのクリエイティブ面を引き続き統括しつつ、新プロジェクトを準備中。
@ramdanetouhami

SHIBUYA PARCO 50th anniversary
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Art Recherche Industrie