FEATURE:By 宇川直宏(3)
渋谷パルコとカルチャー史
By 宇川直宏(3)
photo Naoto Date(portlait) text Keisuke Kagiwada
渋谷パルコ9階のクリエイティブスタジオで「SUPER DOMMUNE」を主宰する宇川直宏さん。 そんな宇川さんに「渋谷パルコ」文化の現在・過去・未来を語ってもらった。
(前述の)WAVEに関しては、今、1階に同じ名前のレコードショップがありますよね。 これ、エントランスにあるということが重要で、言ってみれば僕らにとって鳥居や祭壇みたいなもの。 お賽銭箱があればいっぱいお金が集まると思いますけど(笑)、それはともかくセゾンカルチャーの忘れ形見をエントランスに置くことで、 新しい渋谷パルコ自体がその文脈をちゃんと受け継いでいることを鮮明に打ち出している。
TECHNIQUE(B1)/1994年にWEBショップとしてスタートした伝説的レコードショップ。翌95年に渋谷で実店舗を構えて以来、上質なダンスミュージックを中心に、音楽やレコードにまつわるカルチャーも含めて発信し続けてきた。2020年8月にB1Fに移転。レコードはもちろん、お店と渋谷パルコのロゴを重ねてプリントしたTシャツも販売中。☎03-5458-4143 12:00~21:00 不定休
レコードショップとしてもうひとつ語らなきゃいけないのが、地下に引っ越してきた「TECHNIQUE」。 90年代に興った渋谷系文化を支えていたのは、バブル後期に世界から最もレコードが集まってきた宇田川町におけるレコードショップの隆盛でした。 つまり、当時の宇田川町はフィジカルなヴァイナル文化の宝庫であり、都市そのものが巨大なヴァイナルアーカイヴだったのです。 ゆえに世界の電子音楽を中心に扱うTECHNIQUEが地下に存在していることは大変嬉しいです。 あらゆる音楽がデータ化する中、12インチを今も切り続けているのは、テクノのアーティストたちです。 ファイルでのプレイが常態となった今、逆にヴァイナルの豊かさが価値を持ち復権して久しいです。 実際、ファイルの濁りのない波形情報の解像度ではなくて、 空気振動として大気に触れたときの周波数を最もフェティッシュに進化させ続けているのがテクノであったと結論づけられました。 そして、そういう電子音楽の豊かさを日本で最も流通させているのが、TECHNIQUE。 DOMMUNEでプレイしてくれる海外のDJは、日本につくとまずTECHNIQUEに寄って、その後にDOMMUNEにコマーシャル出演し、翌日にギグを行うパターンがここ10年ありました。 これからはそれが同じビルの中で実現できる。 渋谷の再開発によって地域コミュニティの崩壊がささやかれる中、パルコ内でのわれわれの文化的接続は日本の宝だと思っていただきたい(笑)。
WHITE CINE QUINTO(8F)/「映画の枠を超えた“カルチャー”に出会う」をコンセプトにしたミニシアター。 『mid90s ミッドナインティーズ』公開時はコラボドリンクを発売するなど、作品との連動企画も積極的に行っている。☎03-6712-7225 上映作品による 不定休
あとはミニシアターの「ホワイト シネクイント」(08)ですよね。ミニシアターも同じく絶やしてはいけないサブカルチャーのひとつ。
コロナ禍では、閉館の危機に晒された映画館を救うべく「ミニシアター・エイド」基金が立ち上げられました。それに最初に賛同して、
記者会見の様子を番組として配信したのがDOMMUNEです。結果、僕らの番組が民放にも拡散されその存在が広まり、最終的には3億円以上のサポートを集めたそうです。
いずれにしても、大衆に迎合しない作品を通して、映画本来が持っている芸術性だったり、逆にはいかがわしさの奥行きだったりを解放するのが、ミニシアター。
そんな文化の精神性を支えていたのがシネ・ヴィヴァン・六本木であるので、ホワイト シネクイントはその意志を受け継いでいる。
DOMMUNEではミニシアター系の映画作品と連動した番組もやっています。
最近ではホワイト シネクイントでも上映された『mid90s ミッドナインティーズ』の番組をオーガナイズしました。
あの作品は、タイトルのとおり90年代を舞台に、スケートボードのコミュニティ、つまり公園文化に触れた少年の成長を通して、
インターネット以前の人と人との濃厚なコミュニケーションが描かれているのです。さっきも語った“会う”ということの本質を改めて考えさせてくれる作品です。
そうやって文化は熟成され、これまで受け継がれてきたわけですけど、その豊かさを打ち出した作品が、日本ではコロナ禍に上映され、
しかも爆発的に大ヒットした。ジェントリフィケーションが騒がれる渋谷において、この映画の番組が9階のDOMMUNEから世界に配信され、
8階のホワイト シネクイントで大ヒットした意味は大きい。渋谷から世界にストリーミングされ、渋谷に人を惹きつけている。
あとは、さっきは触れませんでしたが、セゾンカルチャーと言えば、ファッションの文脈においてDCブランドブームも全国区にしたわけです。
70年代後半、川久保玲さんの「コム・デ・ギャルソン」や山本耀司さんの「ヨウジヤマモト」がパリコレに進出し、
日本の伝統的美意識をリエディットして、現地では「黒の衝撃」と騒がれた。日本では「カラス族」と呼ばれることになるそのカルチャーを、
日本に拡散したのも同時代の渋谷パルコ。
革新的なファッション文脈。
そうした革新的なファッションの文脈も、新しい渋谷パルコに息づいている。例えば、「UNDERCOVER」が入っていますよね。
デザイナーのジョニオくん(高橋盾)は、「A BATHING APE®」を立ち上げたNIGO®くんと90年代初頭に「NOWHERE」をスタートさせ、
その後の裏原ムーヴメントを率いました。
ジョニオくんはヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンがかつてやっていた「セディショナリーズ」のコレクターとしても有名ですが、
「ワールズエンド」解散後、ヴィヴィアンがドレスアップカルチャーに向かい、マルコムがヒップホップというドレスダウンカルチャーに向かったのと同じように、
ジョニオくんはパリコレに進出し、NIGO®くんはストリートファッションの道を極めた。
「UNDERCOVER」のパリコレ一発目は、「Scab」というテーマで、クラストコア的な世界観のドレスアップ化を試みているのですが、
それを大々的に特集したのが当時の『relax』(笑)。こう考えると本当にすべて地続きで繫がっていますよね。
さらにファッションの話で言えば、新しい渋谷パルコの1階には「GUCCI」がありますが、現デザイナーのアレッサンドロ・ミケーレが取り入れてるものって、
コンテンポラリーアートである以前にエクストリーム・カルチャーですよね。つまり、セゾンカルチャーが推し進めてきた文化潮流が、
今では「GUCCI」の中にまで入り込んでいる。
日本のアーティストに限って言っても、草間彌生さんや村上隆さんや空山基さんが、ハイファッションのブランドとコラボレーションしています。
そうした現代アートもハイファッションも、もともと渋谷パルコにあったもの。それが40年の歴史を経てここ渋谷パルコの磁場に引き寄せられてきた。
ちなみに、「TOGA」や「G.V.G.V.」も取り扱われていますが、どちらのデザイナーも僕の古くからの友達なんです。
それぞれ無意識にもセゾンカルチャーに影響を与えられ、そこから独自の活動を始め、時代の“ろ過”を経てもまだなお生き生きとしているオルタナティヴ猛者たちが、
渋谷パルコという地場に引き寄せられたとしか考えられない。
DOMMUNEは今語ってきたようなすべての施設に何かしらの関係性を保っているわけですが、触れなかったところで重要なのが、
1979年に「池袋西武」の中にできた「池袋コミュニティ・カレッジ」です。
今も続いていますが、何が重要かってカルチュラルスタディーズ、要するに、堤清二さんは高尚な学問の世界を超えて文化研究に勤しむ、ポップな考現学を伝え広めたこと。
これはテイストは違えど現在、DOMMUNEが取り組んでいる活動の一部です。
というわけで、新しい渋谷パルコの9階に引っ越してきたわれわれは、堤清二さん、セゾンカルチャー、
そしてすべてのサブカルチャーに敬意を表しながら、そのアイデンティティをジェントリフィケーションに絡め取られることなく「ハプニングを味方につけ、
何を世界に拡散すべきなのか?」を命題として、これからも活動していこうと思います。