5月30日(金)よりPARCO MUSEUM TOKYOにて個展を開催する台湾出身アーティストのマンボウ・キーをコラボレーターとして迎え、LOEWEの新作コレクションを渋谷の街に潜む「色彩」に重ねて映し出す。
そしてマンボウ・キーの撮影現場やクィア・カルチャーへの探究から発展した東京での作家活動など、その素顔に迫ったドキュメントムービー。またアイデンティティの多様化、環境問題、ジェンダーなどの社会情勢や、芸術や文化を背景にしたアーティスト支援などへの繋がりが色濃く反映される現代のファッション業界の潮流について考察したエッセイと共にお届けする。
- Creative Direction
- Akira Takamiya (Moder—n)
- Photography
- Manbo Key
- Styling
- Rumiko Koyama
- Hair
- Yuko Aoi
- Make up
- Takenaka Kazuhiro
- Model
- Yuzuha (friday)
- Edit
- Minori Kitamura
- Documentary Movie
- Taro Okagawa
- Essay
- Shihoko Ansai





















Documentary Movie | Manbo Key: The shooting diary of Tokyo
Directed by Taro Okagawa
Essay | 文化の記憶装置——私的な語りの永続性
文・安齋詩歩子
ファッションは、国籍や性別、年齢、信仰、身体の在り方といった境界を越え、個人の内面にある「私らしさ」を可視化する手段であり、ときにはそれを守るための鎧ともなる。ある人にとってのファッションは自己肯定の表現であり、また別の人にとっては既存の価値観への挑戦となる。どのような意図をもって身にまとうにせよ、その行為には必ず「語り」が内包されている。
近年、ファッション界ではインクルーシビティやダイバーシティが強く打ち出されるようになり、従来の美の基準やジェンダーの枠組みにとらわれない表現が広がっている。ランウェイに立つモデルたちはもはや均質な「理想像」ではなく、世界の多様な現実を映し出す存在へと変化しつつある。それはつまり、ファッションが「誰のために」「どのように」存在するべきかという問いを、私たちひとりひとりに投げかけているということでもある。
多くのメゾンやファッションブランドはその時代における文化的背景や社会情勢を意識した表現により、戦争、格差、環境問題、ジェンダーなどの複雑なテーマについて私たちに問いかけてきた。たとえば、上記のような現代的課題をランウェイという舞台で象徴的に語ることもあれば、大胆なスローガンやメッセージをデザインに組み込み、衣服そのものを社会的言説のメディアとして用いることもある。こういった事例は、ファッションが批評的実践として機能していることを示している。
衣服は沈黙しない——それをまとう身体の数だけ、語るべき物語があるのだ。このようにしてファッションは、表面的なスタイルの問題にとどまらず、私たちがどのように「他者と共に生きるか」「自分をどう語るか」といった根源的な問いに対しても、繊細かつ力強くアプローチしている。ゆえに現代のファッションは、単なる装飾文化ではなく、社会の鏡であり、対話の場であり、そして抵抗の手段でもあるのである。
同時に、伝統やクラフトマンシップを重んじ、その技術や格式を大切に守り続けているメゾンやファッションブランドも数多く存在する。そうしたメゾンやブランドたちは、変化する時代の中でも「不変の価値」を示す存在として機能している。たとえば、手縫いの仕立てや素材選びに妥協を許さない姿勢は、効率やスピードを重視する現代社会に対する静かな抵抗とも言えるだろう。彼らは時代の流れに迎合するのではなく、むしろそれに対して独自の美意識や精神性、文化に対する姿勢を提示することで、人々に「本物とは何か」を問いかけている。
このように、ファッションは社会や個人の変化に応じて絶えず姿を変える流動的な側面と、技術や精神性を通じて時間を超えて語り継がれる永続的な側面の二つの極のあいだで揺れ動いている。そのはざまで私たちは、日々選ぶ服のなかに自分の価値観や生き方を無意識のうちに織り込んでいるのかもしれない。
なかでもLOEWEは、クラフトマンシップに裏打ちされた伝統を重んじ、芸術と文化の保護・推進にも力を注ぐ、現代を代表するメゾンのひとつである。2022年からは継続的に東京レインボープライドに協賛し、多様性とインクルージョンの実現に向けた積極的な姿勢を明確に打ち出してきた。ジェンダーやセクシュアリティにまつわる既成概念を問い直しながら、あらゆる人々が自分らしく生きることを肯定し祝福する場を、LOEWEはファッションという視覚的・社会的メディアを通じて創出している。そこには、単なる衣服を超えた、社会との関係性をデザインしようとするメゾンの精神性が表れている。
また、LOEWEは単なる支援にとどまらず、アーティストやアクティビストとのコラボレーションを通じて、社会的な声を「作品」として可視化する試みも行っている。こうした活動はメゾンが伝統と革新のあいだに立ち、文化の担い手としての役割を果たしていることを示している。
今回LOEWEのコラボレーターとなった台湾出身のアーティスト、マンボウ・キーは被写体との親密な関係や日常の光景を非現実的で夢のような世界へと昇華させている。私たちが見慣れた風景や人々の仕草が、彼のレンズを通すことでまるで別次元の物語に変わるのだ。彼の表現するポップで幸福な色彩は、どこか懐かしさと未来感が同居する独特の空気を生み出し、現実と空想の境界をあいまいにする。そこには単なる記録ではない、「見る」という行為そのものに対する再解釈が宿っている。彼の作品は都市の片隅や人の営みを捉えながらも、常に視覚的な挑発と感覚の揺さぶりを伴っている。
マンボウは台湾で同性婚がアジアで初めて合法化された2019年、父親の性についての私的なビデオテープを出発点にした個展を開催した。それまでタブー視されていた性についての「語り」が、写真と映像のインスタレーションを通じて外に開かれ、観る者に強い感情と思索を喚起する場となった。この展示は、個人の内面に潜む複雑な感情や社会における規範との摩擦を、芸術というかたちで力強く浮かび上がらせた。とりわけ父という存在を媒介にしながら、私的なことを「語ること」そのものの勇気と、語られることで初めて生まれる新たな視点を提示している点において、台湾社会の変化と深く共鳴するものだったといえる。
私的な語りは一見すると個人の記憶や体験にとどまるもののように思える。しかし、それが他者に共有され、作品や言葉、身体表現といったかたちを通じて外化されたとき、それは単なる「私のもの」から、「私たち」の記憶へと変容する。そうした語りは、歴史の周縁に置かれがちな声や経験を拾い上げ、文化の中に定着させる働きを持つ。
ファッション、写真、映像、文学——どのような表現においても個人の視点や感覚が媒介となって、時代の空気や社会の矛盾が記録され、再解釈され続ける。つまり、「私的な語り」こそが文化を記録し、更新し続ける永続的な記憶装置としての役割を果たしているのだ。私たちはそれらの語りを通じて、忘れ去られがちな感情や物語、声なき声に触れ、時に自分自身の記憶や立場を問い直す。そしてその行為こそが、文化を未来へとつなげる営みなのではないだろうか。
Profile — Manbo Key
1986年台湾生まれ。映画美術に携わりながら写真への興味を持ち、写真家の道へ。創作プロセスには、写真家と被写体との親密な関係や、被写体や日常生活の光景の観察が含まれる。「Vogue Taiwan」「GQ Taiwan」「marie claire」などのファッション、広告、多数のプロジェクトに携わる。台北市立美術館で開催された「父親的錄影帶 | Father’s Videotapes」(2019)をはじめ、活動範囲を香港、ベルリン、東京へ広げている。
- ブランド名
- LOEWE
- フロア
- 1F
- 電話番号
- 03-6215-6116(ロエベ ジャパン クライアントサービス)
- 公式SNS
- Instagram(@loewe)
X(@LoeweJP)
Web https://www.loewe.com/jap/ja/home