独自の発想と美学のもと、パルコ・プロデュースで作品を発表し続けている東京ゲゲゲイのMIKEY。生きている瞬間瞬間で思考が変化するため、インタビューは苦手だというが、その根底に人に対しての真摯さが感じられるから、私たちはMIKEYに惹かれるのだろう。
そんなMIKEYが今回、ともに歩んできたパルコのためにと特別にインタビューに応じてくれた。提示された条件はただひとつ、ウサギの着ぐるみを纏って登場すること。渋谷PARCO、そして渋谷の街でウサギ姿でシューティングに臨んだ。
自分をマスキングするかのような行為の意味、内面を語ることを躊躇う理由、東京ゲゲゲイについて……今のMIKEYがなにを感じているか、話を訊いた。
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- Sachiko Saito
- Text
- Atsushi Kosugi
- Edit
- RIDE Inc.
どこまでも、果てしなく定まらない
--今回のインタビュー企画についてどう感じましたか?
正直なところ、受けるかどうか迷いました。私、いつもインタビューってもうその場のノリで……適当に答えちゃうから、後日まとめてもらった内容を原稿で見ると「これが世の中に出るのか」って憂鬱になっちゃうんですよ(笑)。たとえば私が、こういう場所で「好きな食べものはなんですか?」と聞かれて「ビーフシチュー」って答えるとするじゃないですか。それを見た誰かが「MIKEYさんはビーフシチューが好きなんだよね」って。実際は別にそんな好きじゃなくて(笑)。だったら最初から適当に答えなきゃいいだけの話なんですけど……。とはいえ、最近は表舞台から遠ざかっていたので、いい機会かもとお引き受けしました。今回は後悔しないように、ちゃんと真面目に答えていきたいと思ってます。
--撮影にあたってMIKEYさんから衣装のリクエストがあり、ウサギの着ぐるみを着用されていると伺っています。
実は、撮影を断る口実で「顔が見えない着ぐるみレベルでいいんだったら」って冗談で言ったんですよ。そしたらまさかの「それでもお願いします」って言われて(笑)。で、着ぐるみって用意できるものなのかと思って、ネット検索して出てきたのが今日のうさぎさんでした。いろいろな衣装を着てきたけど、着ぐるみは一度も着たことなかったから着てみたくって。しかも着ぐるみなら別に私じゃなくてもいいじゃん! って「(着るのは)私じゃなくてもいいですか?」って聞いてみたんですけど、「MIKEYさんご本人でお願いします」って。作戦失敗でした(笑)。
--ここでも改めて、着ぐるみの中身はMIKEYさんだということを触れておきます(笑)。ビジュアルを出したくないことには、どのような思いが?
うーん。昔からなんですよね。こういう仕事やってて、すごく矛盾しているんですけど。あんまり人に見られたくなくて(笑)。人に注目されるのが苦手なんです。小さい頃は、誕生日会とかやってもらっても、恥ずかしくて隠れてました。あとは「これがMIKEYだよね」って型にハマったビジュアルを作りたくないというか。MIKEYというものが抽象的な存在で、はっきり定まらないというか。見られたいんだか見られたくないんだか、そもそもこの人一体なにがしたいんだかわからないみたいな。他人の理解から逃げていたいんです。
ルーツにあるお囃子とヒップホップ
--変わらずに好きなものってありますか。
どうだろう。あ、男のタイプだけは変わらないかな。そこは変わってくれればいいのに、とか思う(笑)。
--今の好みに、なにか大変なところがあるということですか。
好みのタイプの男性が私を好きにならないので(笑)。私のことを好きになってくれる人を好きになれたら、もうちょっと幸せになれるかもしれないのに。なぜかそこだけは、痛い目見ようが変わらないんですよね。どうしたらいいんだろう(笑)。
--(笑)。では今、いいなと思っているものはありますか?
今って限定すると、なにもないかもなぁ。私、流行や時代の流れに本当に疎くて。そういえばこの間、バーにいた若い子たちの中の一人が、ある曲をカラオケに入れたら、みんなが国歌のように一斉に歌い始めたんです。隣にいた人に「これって誰の曲ですか?」って聞いたら、「日本でこの曲知らない人いるんだ!」とびっくりされました。新曲とか全然チェックしないし、SNSも見ないからしょうがないんですけど、改めて自分って浮世離れしてるんだなぁって。友達と話をしていて「今、そんなことが起きてるんだ」って知るくらい。
--もともとSNSなどで、誰かと繋がることや情報を得ることには興味がありましたか?
もともと興味なかったかもですね。
--見なくても平気な感じ?
見なくても平気というか、だいたい飲みに出かけてるので(笑)。
--夜はお酒を飲んでいるとのことですが、昼間に外へ出かけることもありますか。
ほとんどないかなぁ。歩くのが好きな友達がいるので、たまに散歩してランチしてお茶して。で、夜はやっぱり飲みに行って。あ、YouTubeとかは観ます。
--やっぱり音楽とか?
いや、ひたすら昔の全日本女子プロレスを(笑)。たぶん、あまりいろいろなものを観ないのは、情報過多ですぐ頭がパンクしちゃって疲れちゃうからかな。映画も舞台もいろいろは観られない。もしハマってしまったら、もうひたすらそれだけをずっと観ることになっちゃうので。全日本女子プロレスも、小さいときにテレビやビデオですでに何度も見てる試合を、繰り返し何万回も観ちゃうんです。だから多くのことは知らないけど、好きなことに関してだけはすごい詳しいみたいな(笑)。
--やっぱり幼少期の体験は、趣味嗜好に大きく影響しているというか。
基本そうだと思いますね。音楽に関して言えば、10代の頃に受けた影響がすごく強いと思う。中学生ぐらいからヒップホップにハマって。まわりで聴いてる人はいなかったですけど。よく聴いていたのはミッシー・エリオットとかティンバランドかな。R&BだとSWVやブランディ。90年代から2000年代にかけてのテイストがすごく好き。今でも聴いてるし、音楽作りの面でもかなり影響を受けてると思う。
--まわりに聴いている人がいないということは、付き合いやブームで聴いていたわけではないと思うんです。だとしたら、どんなところに惹かれたのでしょうか?
ヒップホップは基本コードに変化がないんですよ。ずっとワンコードのトラックの中で、どうフロウを聴かせるか、みたいな。小さい頃にお囃子をやっていたんですけど、お囃子も基本、ループなんですよね。ひたすら何十分も。ループってところがツボなんだと思います。Jポップでワンコードの曲ってほとんどないし、むしろコード展開の激しい曲が多いと思う。東京ゲゲゲイの曲はワンコードが多いですけど、たぶんそれはヒップホップやお囃子がルーツなんだろうなって思います。
ダンスなら嘘をつかずにすむ
--では、ダンスと音楽活動についてもお聞きします。まず10代で、歌手として活動を開始されたわけですよね。
ちっちゃいライブハウスとかで、よくライブをしていました。
--で、その頃に事務所の人に「ダンス習ってこい」と言われて……。
そうなんですよ。お世話になっていた事務所の社長が「お前、オカマっぽいから、ダンス習ってこい」って。今考えるとすごい言葉ですけど。
--今から20年以上前の話とはいえ……。
ひどいですよね(笑)。まぁでも当時は、ストリートダンスする人はヤンキー文化からの流れみたいな印象があって。ヒップホップダンスはダボダボな服を着て、ストリートの悪いやつみたいな。それが当時はわかりやすく「男らしさ」だったのかな。だから最初はダンスを習うというか、「男らしさを身につけてこい」みたいな感じだったんだと思います。その反動なのか、今はこうなってますけど(笑)。
--でも、そこでダンスにハマったということですか。
男性の先生が教えているスタジオに通っていたんですけど、ある日その先生が「クラブに遊びにおいでよ」と誘ってくれて。それでクラブに行ってみたら突然みんなお酒でベタベタの床に座り始めたんですよ。で、なにが始まるのかと思ったらダンスのショータイムが始まって。私の先生も出ていたんですけど、なによりそこで踊っていた女性たちが衝撃的にカッコよかったんです。ゴリゴリのヒップホップで踊る女性を見たとき、「こんなふうになりたい!」と思って、それでダンスが好きになったんですよね。
--自分もそういうふうに踊ってみたい、と。
B系と呼ばれていた女の子たちのメイクや髪型、ファッション……幼少期からブラックカルチャーが好きだったけど、日本でもこんなカッコいい人たちがいるんだ! って。それを見たときの感動、衝撃は確実に今に繋がっていると思います。男らしさを望んでいた当時の社長は、まさかその後、私が女装したりする人になるとは思わなかったでしょうけど(笑)。
--「そっちか!」と(笑)。そういう意味では音楽への興味と並行して、ダンスでなにかを作ってみたい、となった感じですか。
そうですね。でも歌には歌詞があるじゃないですか。で、10代の私は自分がゲイであることを隠して生きていたので……たとえば恋愛の歌詞を書くにしても、私が想定してるのは相手が男性なんですよ。でも事務所の人にバレるのが嫌だからカモフラージュしたような歌詞ばっかり書いてて。なんか歌うのも嫌になっちゃって。それで歌から遠ざかって、事務所も辞めて。でも、ダンスは言葉がいらないじゃないですか。だからダンスで表現するほうが発散できた。言葉を使わない表現のほうが居心地がよかった。
ゲイの表現者との出逢い
--当時は抑圧というか、今ほどはそういうことを表沙汰できないような?
そうだったと思います。当時は世間的にもゲイ=オカマ=色モノみたいな風潮がもっとあったし、ましてやヒップホップのカルチャーやストリートダンスの世界では、ゲイだと言えない空気感がありました。
--そこから東京★キッズ、バニラグロテスクを経て、東京ゲゲゲイを結成するわけですけど、東京ゲゲゲイには明確にゲイという単語が入っています。そう名乗ることに葛藤や覚悟はありましたか。
もう、東京★キッズの時点でゲイであることは公言していたので、そこからだいぶ経ってからの東京ゲゲゲイでは、名乗ることにまったく抵抗ありませんでした。
--ゲイであることを公言するようになったのには、なにかきっかけが?
JONTE' MOANINGというニューヨークのゲイのダンサーがいるんですけど、ちょうど東京★キッズで活動し始めた頃、日本に来た彼がショータイムで踊ってるのを見たときも、ものすごい衝撃だったんです。スキンヘッドにメイクして、レオタードにハイヒール。そして圧倒的なダンススキル。それをきっかけにゲイカルチャーにも興味を持ち始めて。リー・バウリーとかパーティー・モンスターとか。 彼らに魅せられ、憧れを抱いたことが、自分がゲイであることを受け入れるきっかけにもなったのかなって思います。結果、歌を諦めてダンスに夢中になっていたら、ダンスが私を解放してくれて、歌を取り戻してくれた、みたいな感じです。堂々と男性が好きなんだって歌えるように(笑)。
--昔よりも生きやすくなってきたな」と思うような、世の中の変化を感じることはありますか。
……難しいですね。「便利は不便」じゃないけど、どうなんだろう。生きやすくなってきているのかな。そうなってきている部分もあるとは思うんですけど、生きやすい=幸せでもないような気がするしなぁ。たとえば私個人のことで言えば、ゲイであることがコンプレックスや社会的ハンデみたいになってる感覚はないし、経済的にも昔に比べたら裕福にはなったけど、じゃあ過去に比べて生きやすいかと言われたらどうなのかなぁ。開けた部分もあれば、窮屈なとこもある気がする。
自由から生まれるモチベーション
--2015年の『*ASTERISK』シリーズで、本格的にパルコとタッグを組まれてパルコ・プロデュースのもと活動が始まりました。そして2016年から『東京ゲゲゲイ歌劇団』シリーズがスタート。最初はプロデューサーに声をかけられても、MIKEYさんはつれない返事を続けていたという話を伺ったことがありました。
当時は所属事務所もなくフリーで、ファンもいないし、(ダンス教室の)生徒やそのお母さんたちと小さな規模で、手作り感覚でやっていることが楽しかったんですよね。誰に期待されてるわけでもなく、自分の好きなことを好きなタイミングでやれてる環境が。でも、パルコさんがつくと一気に責任が生じるというか、プロっぽくなるじゃないですか。商業的というか。「プロになるのはな……」みたいなところがあった気がします。というか今もある(笑)。
--『東京ゲゲゲイ歌劇団』シリーズを始められて、音楽でもアルバムをリリースするなど、活発に活動されていて。より多くの人に表現が届くようになって、どうですか?『歌劇団』もvol.Ⅵまで続いていますが、MIKEYさんの中でなにかを達成したみたいな感じはない?
まったくないですね。たぶんですけど、私から『歌劇団』をやりたいと言ったことは一度もないと思います(笑)。流れで「じゃあ次は?」みたいな感じでやってきたので。『歌劇団』があるからアルバム作らなきゃとか、そういう感じでやってきて、気づけばもう6回もやっていたみたいな。
--わかりやすい上昇志向を、原動力にしているわけではない感じがします。
そこがあればもう少しは売れてたかもしれないですけどね(笑)。でも、パルコさんは『歌劇団』で自由にやらせてくださっていたので、その都度、ミュージシャンにしても、ダンサーにしても、クリエイターにしても、そのとき一緒にやりたい人とやらせていただけて。なんか商業的な興行となると「今回は、こういうことをやってほしい」とか、大人の事情でやりたくないことを言われたりするじゃないですか。でもパルコさんにはそういうことは一切、言われたことがない。今、思い出せないだけであったかもしれないけど、たぶんなかったと思う(笑)。
--いや、なかったんじゃないですか(笑)。あと、MIKEYさんはBE:FIRSTのRYUHEIさんを始め、いろいろな方とコラボをされています。若い世代とのコラボも多い印象ですが、そういう方々とコラボしてみてなにかエピソードがあったら、教えていただきたいです
うーん。RYUHEIくんに関しては言える範囲のことは自分のYouTubeでいろいろ語っちゃったからなぁ。まぁでも、自分があまりにメジャーには向いてないので(笑)、これからの日本のメインストリームを作っていくであろう若い世代の子に、少しでもいい影響を与えられたのであれば、やってよかったなって思います。
--MIKEYさんは『歌劇団』もそうですが、グランバザールの広告や渋谷PARCOのリニューアルオープンでテープカットにも出席されたり、いろいろな局面でパルコとご一緒されていますが、その中でなにか思い出はありますか。
あ。一番最初に出てたのは、前の社長のバンドのことですね。
--……それは?
パルコの前社長がやられているバンドのライブを観に行ったことをまず思い出しました。そこで元・東京ゲゲゲイの女子メンバーがバックダンサーをしていたという(笑)。さっきパルコさんは大人の事情を持ち込まないって言ったけど、今思ったらめちゃくちゃ大人の事情(笑)。
--そういうコラボレーションもあったんですね(笑)。渋谷という街に対する印象はいかがでしょうか。
うーん。20代の頃は渋谷のクラブで毎週踊っていたから、ダンスの青春場所って感じだけど、今となっては人混みが苦手になっちゃって、渋谷に来る目的ってパルコさんと仕事するときぐらいかな(笑)。なんか、今回久しぶりにインタビュー受けて思いましたけど、やっぱり本当に面白いエピソードって世になかなか出せないことが多いですよね。だから適当に答えちゃうのかも(笑)。
--では、そこは時効になってから、改めて伺いたいと思います(笑)。
Information
東京ゲゲゲイ歌劇団『破壊ロマンス』U-NEXT配信決定
MIKEYのソロプロジェクトに生まれ変わった東京ゲゲゲイによるライブパフォーマンス公演、PARCO劇場開場50周年記念シリーズ 東京ゲゲゲイ歌劇団 vol.VI『破壊ロマンス』。最新アルバム『破壊ロマンス』の楽曲を中心に、男性ダンサーたちとライブパフォーマンスを展開、新たな世界を切り拓く。
MIKEYが描く破壊と再生。その物語の幕開け。
詳細はPARCO STAGE 公式サイトにて
https://stage.parco.jp
Instagram(@parco_stage) X(@parcostage)
MIKEY(東京ゲゲゲイ)
1983年生まれ、東京都出身。「東京ゲゲゲイ」リーダー。シンガーソングライター、パフォーマー。19歳のときに音楽レーベルのオーディションでグランプリを獲得。メジャーデビューを目指すが、セクシャルマイノリティである自身との乖離に悩み断念。歌を封印し、ストリートダンサーとして独学で活動を始め、ゲイであることをカミングアウト。2015年にパルコ・プロデュース作品*ASTRISK『Goodbye, Snow White』に参加。さらに2016年から『東京ゲゲゲイ歌劇団』を立ち上げ、Vol. Ⅵまでを上演。音楽活動も再開し、現在までにアルバム6作をリリース。
Instagram(@mikeygegegay)(@tokyogegegayinsta)