TOGA | “OUR, QUEER, CULTURE” (2/2)

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TOGA | “OUR, QUEER, CULTURE” (2/2)
TOGA | “OUR, QUEER, CULTURE” (2/2)

ファッションブランド「TOGA」と共に制作するPARCO ISSUEのテーマは「QUEER CULTURE(クィア・カルチャー)」。ジェンダーマイノリティーを起点に音楽、映画、アート、文学など幅広いジャンルに広がるクィアという文化を、ファッションとカルチャーという二つの側面から見つめます。
古田泰子(TOGAデザイナー)、五所純子(作家、文筆家)、斎藤玲児(映像作家)、Yiqing 逸青(DJ、オーガナイザー)という性別、世代、文化背景の異なる4名のゲストが登場し、それぞれの視点から“クィア” について語ります。
そして「TOGA」新作コレクションを纏ったゲストを、塩田正幸、当山礼子、Ryu Ika、ニールス・ジュンジ・エドストロームという4名の写真家がファッションポートレイトとして撮り下ろしました。

Creative Direction & Edit
Akira Takamiya(Moder—n)
Photography
Masayuki Shioda,
────Reiko Toyama,
────Ryu Ika,
────Nils Junji Edström
Film Direction
Taro Okagawa
Interview & Text
Nozomi Kinoshita,
────Yui Nogiwa
────(RCKT/Rocket Company*)

Movie | Talking about Queer

Directed by Taro Okagawa

Interview | Yiqing
ただハッピーに、自分らしくいることの普遍性

Photographed by Ryu Ika

基本的に自分がやりたいと思うことはずっと変わっていません。他人から、イベントのオーガナイズやDJ、ライターをやっている人だと認識されている自覚はあるのですが、誰の目も気にせずに自分を見つめ直したときに、なんとなく歌詞は書けるとずっと思っていて。あるとき、(1LDKとして共に活動している)Goosと仲良くなって一緒に音楽を作ることになり、今の1LDKとしての活動をはじめました。彼がビートを作って、私は上から歌詞をのせて歌う。すごく素敵な偶然で始まりました。(マルチメディアコレクティブの)etherとしての活動を始めた2021年から、時間は経っているけど、全部自分で考えて、全部自分で作るという姿勢は、ずっと続けていることです。自分のあり方や、外からどう見られるかについて考えることも多いのですが、本当の自分はこうだと、自分の活動のいろんなフェーズを通して表現し続けています。

「枠」ということをあんまり考えたことがないし、考えるものでもないと思っています。自分を貫くことがいちばん大事なこと。でもそうするためには、まず自分がどういう人間なのかをしっかりと知る必要がある。(人々は)自己理解のために大半の時間をかけるわけで、そのプロセス自体が、いわゆる“枠組みにはまらないこと”とか“クィア的”なんだと思います。そんなふうにして、自分を貫くというのが、いちばんクィアだと思っています。

そもそもクィアは悪い言葉として始まっているけど、根本的にあるのはセレブレーションだと思っています。自己実現をやり遂げたその自分を、パブリックの目にさらけ出したときに、プライドを持って自分でいられる。それをやり遂げたあとのセレブレーション。すごく大事なことだと思います。ネガティブなことに対してのアンチではなく、ただハッピーに、自分らしくいることが自然なことだと思うから。クィアはその延長線上にあるものだと思っています。

いわゆる「クィアカルチャー」とされている作品は、ただの「新しいもの」とか、「ちょっと外れたところにあるもの」としてではなくて、もう少し普遍的なものとしてちゃんと評価されていってほしいと思っています。目には見えないけど、確かにクィアカルチャーに起源がある、みたいになっていってほしいですね。そのためにも、自分たちを守るための境界線はあった方がいいと思っています。そうでないと、どんどんファッション化されていってしまうから。そういう意味でも、それぞれのよさをきちんと評価してほしいと思います。

 

Profile — Yiqing
逸青(イーチン)

1998年生まれ。東京を拠点に、音楽、執筆、キュレーション、イベントオーガナイズと多岐に渡る活動を展開するマルチクリエイター。音楽ユニット「1LDK」のシンガー・パフォーマーとして活動する傍ら、DJ CENTERFOLD名義で都内各所のパーティに出演。また、ライターとして映画監督やアーティストのインタビューを行う等、国外からローカルまで幅広くカルチャーを網羅する。

Interview | Junko Gosho
境界を超えること、言葉とその意味

Photographed by Masayuki Shioda

評論や創作、エッセイなど、それぞれのジャンルの成立要件とはなにかを、実はきちんと考えています。だけど、書いているうちに、ぽーんと手が滑っちゃう。そういうときに、私の文章が境界を超えたり、それを曖昧にするということを起こしているのかもしれませんし、私自身が何かを台無しにしたがる性格なのだとも思います。でも実感としては、文章を書くなかで、“こういうものがあってもいいでしょう?”という気安さと、それと正反対に“これが私にとって正確なことである”という生真面目なところが、同時に存在している気がしています。境界が溶けて消えることはないけれど、そんなふうに動いていったら、境界も動いていくものだと思っています。

 私の母方の祖父は、家の中を一本脚でとーんとーんと跳ね回って移動する人だったんですよ。すごく優しい人で。去年、あるアンケートで、「家族や親族に身体障害者はいますか?」という質問に、私は「いいえ」に丸をして提出したのですが、しばらくしてからはっと気がついて。祖父は左脚を失った身体障害者だったんですよね。つまり私には、祖父が「身体障害者」という言葉に結びついていなかった。私はそういうぼんやりしたところがあるんですね。たとえば、バラに囲まれて育ったら、それがバラと呼ばれていることをほとんど意識しなかったり、いっそ忘れてしまうでしょう。でもあるとき、その名前を知らされる。その呼び名を支えてきた概念や構造があることを私は覚えてしまうんですね。すると、バラという名前はこういう響きを持っているんだとか、私のバラはバラではないのかもしれないとか、思いを巡らせる。そして、バラをバラと呼ぶ者たちに囁きかける文章や、私にとってはこれがバラだということを書きたくなったのだと思います。

 私は、クィアという言葉の語源と経緯が好きです。「斜め」「横切る」「まっすぐでない」といった語源をもちますが、過去には、「異常」という意味を帯びた侮蔑語として使われた言葉です。蔑称は、その本人によって自称されるときに、価値が反転する。私はその瞬間を作りたいのかもしれません。それは瞬時に生まれることじゃなくて、じっくり時間をかけ、粘ってやること。その中でいろんな傷がつくし、自分を壊してしまうこともあるかもしれない。でも、蔑称を自分のものとして名乗ることは、ものすごく過激な自己肯定で、まっすぐな地図への抗議で、およそ似通った人たちへの呼びかけだと思うんです。私にとってクィアとは、夢の予兆なような言葉です。夢はふいに差しこんで、私を変えるし、世界を変える。夢には、瓦礫と毛布と種子を運んでくるという感触があります。夢は、何かを壊して瓦礫を残していくかもしれないし、毛布みたいに包んで守ってくれるかもしれないし、まだ名前のない何かを芽吹かせるかもしれない。どれを受け取ったかは、あとになってみないとわからない。だからクィアという言葉も、誰が何を受け取ったかは、あとになってみないとわからない。受け取ったものによっては、私は一抹の寂しさを感じることもあるかもしれないけれど、言葉は変わっていくものだから。それは嘆くことではないと思っています。

 

Profile — Junko Gosho
五所純子(ごしょ・じゅんこ)

1979年生まれ、大分県出身。著書に『スカトロジー・フルーツ』(天然文庫)、『薬を食う女たち』(河出書房新社)。寄稿書籍に『本に出会ってしまった。私の世界を変えた一冊』 (ele-king books)、『心が疲れたときに見る映画』(立東舎)など。文芸や映画の領域を中心に、多数執筆する。

Interview | Reiji Saito
規範と制度の外にあるもの、外にいること

Photographed by Nils Junji Edström

手もとにあるものだけで作っていくことが自分にとっては何よりも大事なことで、そう思えること以外はできなかったんです。最初は絵を描いていたのですが、だんだん実生活の比重が大きくなった時期に描けなくなってしまった。やめたとき、手もとにあったのが映像だったんです。作ることを意識するずっと以前から、写真や日記のかたちで身のまわりを記録し続けていました。絵画は、イメージをゼロから作り出せるものですが、映像は現実という自分の手が届く範囲にあるものからしか生まれないから、違いを大きく感じて。そのとき、自分の生に関わる映像が大量にあったので、それらを使わなければならないという必然性が自分の中にありました。絵画や美術にはすでに制度があります。もちろん映像にも制度はあるけれど、自分にとって意味を持つ素材はそこでは価値を持たないものだった。自分なりのやり方を探さなければならなかったことによって、作品を作り始めることができました。

最初から、こういうものを作りたいというイメージがあったわけではないです。初めて映像作品を作ったとき、作品外の現実を生きている時間と同じものをその中に見ることができたから、今も同じことを続けることができています。自分にとって本当に大事なものを求めたときに、それがすでにある規範からはみ出るものであったとしても、それは当然のことだと思います。個人的なものを起点にしたからこそ、自分のものではない価値に依って作ることは避けなければいけなかったし、だからそこにあるものや現状を、まず肯定することが必要でした。規範から外れることが目的ではないけれど、自分の作り方で進んでいけば自然と、ただ外れていく。不安定な状態に留まっていられたら、と考えています。

できるだけ言葉を利用したくないし、しないようにしなきゃいけないという思いは自分の中にずっとあって。それでも、いま本当に美しいものや、それしかないと思える形を肯定するとき、代えることができない言葉があると思います。すでにある制度の中で作っていくことからは逃れられないけど、自分の中の必然によってそれを作り変えていかなければ表現する意味がない。外側にある価値に寄りかからないで作っていきたい。所有せず、消費もされず、ごく自然に不気味なものとしてあれたらいいと思っています。

 

Profile — Reiji Saito
斎藤玲児(さいとう・れいじ)

1987年生まれ。2008年より日々の生活の中で撮りためられた大量の写真と動画を素材とした映像作品を制作。東京を拠点に国内外で発表。近年ではゲーテ・インスティトゥート東京やANOMALYでの展示、チェコの『PAF』、ドイツの『EMAF』等の映画祭に参加。

ショップ名
TOGA
フロア
2F
電話番号
03-6416-9688
公式ブランドサイト
https://store.toga.jp/
公式SNS
Instagram(@togaarchives

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