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Interview Keigo Oyamada & Takeshi Osumi -Yuichi Yoshii (WAVE / MISTERGENTLEMAN)

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Interview Keigo Oyamada & Takeshi Osumi -Yuichi Yoshii  (WAVE / MISTERGENTLEMAN)

渋谷PARCOは単なるショッピングビルではなく、カルチャーが生まれ育つ場所だったーーその歴史を改めて感じるリニューアルのラインナップから、今回は館内BGMを手がける小山田圭吾が登場。ともに席を囲むのは、小山田も足繁く通っていたという六本木の伝説的カルチャー発信基地「WAVE」を復活させたオオスミタケシと吉井雄一。世界的なキャリアを誇る音楽家は、渋谷そしてPARCOにどのような思いを持っているのか。そしてMISTERGENTLEMANのデザイナーとして知られる二人がWAVEを復活させた経緯、今後の展開は? 初対面となる鼎談で、それぞれの十代の思い出が交差し、その頃に培われたクリエイションの素地が垣間見れた。

Photo
YUYA SHIMAHARA
Edit
Ryoko Kuwahara

——吉井さんもオオスミさんも大の音楽好きで、小山田さんの存在はかなり大きなものだったとお聞きしています。まずお二人のクリエイションに小山田圭吾というアーティストが及ぼした影響について教えてください。

吉井「ずっと活動を追っかけていたファンなんですよ。だからそういう話をすると嫌がる方だということも知っています(笑)。初期の活動の頃のTV番組の出演などで、型にはまったつまらない質問されてインタビュアーをガン無視してる姿をリアルタイムで観ていましたから。テレビでですよ(笑)」

小山田「そういうの、若い頃だったから(笑)。今となっては恥ずかしいと思うし、もう大丈夫ですよ! 吉井さんはおいくつなんですか?」

吉井「自分は49歳です」

小山田「じゃあ僕の1歳下なんだ。オオスミさんは?」

オオスミ「僕は46歳です」

小山田「結構下ですね。二人でブランドをやっていらっしゃるんですよね」

吉井「そうなんです。今年で7年目です」

小山田「デザインはそれぞれ考えるんですか? それとも一緒に?」

吉井「最初のインスピレーション的な発信はオオスミからで、自分はそれを受け取って広げる流れが多いです。そこから先はずっと二人でやっていくという」

オオスミ「僕の投げたものは全て吉井にエディットされちゃうんです(笑)」

吉井「僕はこの人が描いてるものをどう現実に落とし込めるかを考える役目というか(笑)。最初の大きな絵を描くのはオオスミで、そこからの土台を僕が作るという役割ですね。でも今年齢を聞いて、小山田さんが一個上というのに驚きました。自分が全然まだ働いていない頃から小山田さんは既に第一線にいらっしゃったから、ものすごく先輩に見えていて。自分たちは小山田さんの作ったものをリアルタイムで受け止めていた身で、洋楽シーンで起きていたことがいよいよ日本でも始まったかのような、時代が変わった感を受け止めてたんです。自分が音楽聴き始めたのはJAPANとかYMOとかだったのですが」

小山田「ああ、そのあたりですよね。小学校の頃に普通にNHKでJAPANのライヴ映像が流れるような時代ですから」

吉井「はい。そうやって海外のファッションやカルチャーが面白くなってきた頃に、日本でもそういった優れた美的感覚のある作品が発信され出したのでドキドキしながら観ていました。楽しくてしようがなかったです。その中に小山田さんはいたんです」

小山田「吉井さんも同世代じゃないですか」

吉井「同世代がムーヴメントを起こしていく、というのを指を咥えて見ていました(笑)。憧れとジェラシーとそういうドキドキが入り交じった気持ちで」

——吉井さんは当時どんなことをされていたのですか?

吉井「自分はフリーターで、下北沢の喫茶店でバイトしていました」

小山田「僕は学校が鶴川で、井の頭線で乗り換えだったから下北沢もよく行ってましたよ。五番街というレコード屋やそのビルにあった古着屋に学校帰りに入り浸っていました」

吉井「鶴川! 自分の実家は新百合ヶ丘!」

小山田「毎日通っていた駅だ。町田でもよく遊んでました。僕らの頃はヤンキーが多かったですよね」

吉井「そうそう(笑)。そんな近くにいたんですね!」

——吉井さんはそういうムーヴメントを見てクリエイションしたいと思われたのですか?

吉井「はい。小山田さんのアートワークから佇まいから全てに目が離せなかったし、サウンドがどんどん変わっていく様、みんなが予想しない方向に変換させていくという、そしてそのパターンが一つじゃないところや、その行った先がまたその先の未来を予言してるところとかも。まぁー、文化を構築してるってことなんですけど。」

オオスミ「僕は当時ヒップホップを聴いていましたけど、小山田さんの音楽はもちろん聴いていました。僕は少し年下だからもしかしたら見えていなかった部分があったかもしれないけれど、小山田さんは “オシャレ”ってワードにしかハマらない感じで。まだいいかどうかとかカッコいいとかも理解できない年頃なんだけど、“オシャレなんだから聴かなきゃいけない”って思って、みんながCDゲットしてないときにいち早く手に入れて自慢したりしていましたよ」

吉井「オシャレって単語ヤバいね(笑)。でも まさにそれだったよね。自分の中でも価値観が定まりきっていない年齢ながら、“これを好きな自分でいなきゃ”と思っていた(笑)」

小山田「10代の頃ってそういうのあるよね。背伸びしてわけわかんないながら色々吸収していって、それが後々効いてくる」

吉井「そう。知ったか知ったかで」

オオスミ「僕なんかまさにそうだったので、小山田さんを見て“ホワイトデニム履かなきゃ”とか思っていました」

小山田「ホワイトデニム履かなきゃ(笑)」

オオスミ「デルカジ、キレカジやんなきゃ、みたいな(笑)」

小山田「あったあった(笑)」

——(笑)。今回小山田さんは渋谷PARCOのBGMを手掛けられていますが、そのベースとなるであろうご自身が持たれている渋谷PARCOのイメージやそこでの思い出があったら教えていただけますか。

小山田「中学2年くらいから神泉に住んでいたので、渋谷PARCOの辺りにはいつもいたし、特にブックセンターには色々思い出があります。10代の頃にバイトしていたのも、シードホールという西武系列のビルの最上階のアート展やライヴ、映画上映をするスペースがあったところだったんです。当時はそこで近藤等則さんのIMAバンドがライヴやっていたりしていたので、楽器を運んだりしていました。イラストレーターの吉田カツさんやジョージア・オキーフが展覧会をやっていた頃ですね」

——その企画をされていたんですか?

小山田「いや、単なるバイトです。券もぎったり、楽器を運んだりという。高校卒業してすぐの頃で、長沢節さんのセツ・モードセミナーに通いながら2年間くらいバイトをしていて。その頃にバンドも始めて、19歳の時にフリッパーズ(・ギター)がデビューすることになって。だから10代の頃に80年代の西武カルチャーに思いっきり影響を受けているんです。僕らはそういう世代ですよね」

吉井「はい。モロですね」

小山田「その頃の渋谷は文化を啓蒙していた。新しいものに対して積極的で、西武は特にアートや音楽、映画など”カルチャー”というものをしっかり紹介していたところでした」

吉井「当時は渋谷を通してカルチャーを知る、という流れがあったんです。オオスミさんは東横線でラジカセをガンガン鳴らしていた時代ですよね」

オオスミ「まあ、ラジカセは持ち歩いてましたね(笑)。でも僕もパルコブックセンターに行って本を買っていましたよ。昔、僕はラップをやっていたんですよ。日本のラップが出てきた頃で、ラップブームがあって。で、ヒップホップといえばやっぱり渋谷だったから毎日通っていましたね」

小山田「そうだね、ヒップホップのシーンもあった。さんピンCAMPとか」

——当時の渋谷は様々なカルチャーが横断していたんですね。

吉井「はい。その真っ只中に小山田さんは存在していて」

小山田「いやいや、僕は見ていた側で、そのシーンを作っていたのはもっと上の世代だったと思います。それこそ高橋幸宏さんのBricks-MONOが渋谷PARCOに入ってましたよね。あとは糸井重里さんや石岡瑛子さんなどが西武カルチャーの作り手じゃないかな」

——脈々と受け継がれているんですね。小山田さんが手がけられるBGMの11月、12月のプレイリストを拝見させていただいたのですが、バンドサウンドが多くてクリスマスらしい活気のある楽曲が多い印象でした。

小山田「クリスマスというのは頭にあって、それとショッピングビルなので静かすぎず煩さすぎず、アップテンポめからミドルくらいまでというのは決めてました」

——2ヶ月ごとにBGMが変わっていくということですが、全体での流れやイメージは固まっていますか?

小山田「旧PARCOや旧WAVEみたいなテイストは入れていこうと思っています。70〜80年代のPARCOが一番良かった時代の音楽とかね。あと高橋幸宏さんの曲はいつか入れたいですね。ジャンルも世代も満遍なく入れていきたいとは思っていますが、それこそWAVEがあった頃は自分の世代でもあり、その頃からPARCOのカルチャーも始まっていると思うので、当時のものはベーシックに入ってくると思います」

吉井「楽しみです。プレイリストは何曲くらいになるんですか?」

小山田「3時間ちょっとくらいのもので、多分1日3回くらい流れる予定で。4シーズン分のオリジナル楽曲をプレイリストに入れるのと、あと館内アナウンスの音楽と時報があって、蛍の光的なエンディングもオリジナルで作っています」

吉井「自分たちはお店もやっているから、そこ気になるんですが、蛍の光的な音楽は“早く帰ってください”という気持ちにさせる感じですか?(笑)」

小山田「“終わりですよ~さよなら~” という空気を出すのかな(笑)」

吉井「閉店のタイミングだから一日一回しか流れないわけですよね? 貴重じゃないですか。それ聴きたいために逆にあえて閉店間際に来る人が存在しそう(笑)」

——もともとフィールドワーク的に色々な場所の音を録っていらっしゃる印象があるのですが、場所に即した音楽を作られることにも関心が高いんでしょうか。

小山田「昔はそういうことをやっていましたね。今は全然やっていないですけれど、好きな方です。ポップミュージックだけでなく、音みたいなものが好きなんです」

吉井「小山田さんは曲を作られる作業は速いほうなんですか?」

小山田「うーん、だいぶ鍛えられて速くなりました。NHKで『デザインあ』という番組があって、その音楽をずっと作っていたので、そういうサウンドデザイン的なものだったりジングルだったりを作る作業に関しては速いと思います」

——WAVEについてもおうかがいしたいのですが、お二人がWAVEを復活させることになったきっかけというのは?

吉井「今までショーの中でロゴがバーンと出るようなものをあまりやってこなかったんですが、何か音楽とファッションを結ぶキーワードになるようなロゴを出してみようよという話をしていた中で、“WAVEのロゴは全部直線だけで作られていてカッコよかったよね”となったんです。“このロゴを使いたいとなったら誰に言えばいいんだろう”と調べ出したところから色々と始まっていって、何も考えずここまで行き着いてしまいました(笑)」

小山田「一昨日WAVEでレーベルをやっていた方に会っていたんですよ。あそこのレコードショップはバイヤーが優秀だったから、今でもレコード屋さんをやっている有名な方がたくさんいらっしゃいますよね。高円寺で『Los Apson?』というレコード屋をやられているヤマベ(ケイジ)さんも名物バイヤーで、ヤマベさんのコーナーにはいつも面白い音楽があったからよくそのコーナーのものを買っていました」

吉井「そうやって“この人が薦めるなら”って音楽を買っていた時代ですよね。自分は親が六本木で働いていて、夜ご飯を外で食べようというときに仕事が終わるまでここにいてと言われていたのがWAVEだったんです。そこで兄弟と一緒に遊んでいました。中3の頃ですね」

小山田「ビルに本屋もあったし、退屈しないよね」

吉井「自分の意思で行っていたわけでないけれど、漠然と“このコーナーにはいつも良いものがあるな”とか思っていました。当時は姉がサンフランシスコに留学していて、月に1回カセットテープを送ってくれていたんですね。マドンナやデュラン・デュランなど当時流行っていた音楽が入っていて。そうやって、WAVEと姉のカセットで洋楽を知ってハマっていった時期でした」

——WAVEには家族の思い出があったんですね。オオスミさんも通われていたんですか?

オオスミ「僕も上京してからずっとラップやブラックミュージックのレコードを買いに行っていましたね」

小山田「僕は1994年頃にWAVEの近所に住んでいたので、その時期はほぼ毎日行っていました。吉川晃司が『ザ・ベストテン』に出たとき“六本木WAVEからの中継で歌います”という回があってあのエスカレーターを歌いながら踊りながら降りて来るんですが、それがYouTubeに残っているんですよ。今でもたまにWAVEのことが懐かしくなるとその映像を観ています(笑)。いま、当時のWAVEが見たければその映像ですね」

吉井「知らなかった!(笑) なんの曲を歌ってたんですか?」

小山田「なんだったかなあ。”ユー・ガッタ・チャンス”じゃなくて……“さよならは八月のララバイ”だったかな?」

吉井「あはは! ”ユガラチャンス”ありましたねえ(笑)」

——お二人はWAVEをどういう風に展開していきたいというヴィジョンはありますか?

吉井「実は先程お話しした通りの感じで始めてしまったので、何も決めていなくて。ただ自分たちがコレクションを発表した後からいろんな人たちのWAVEに対する思い入れがグァ~っと出てきたんです」

小山田「ああ、それは重い(笑)」

吉井「そう、想像以上に凄まじくて(笑)。だからここから時間をかけて、みなさんの崇高な思いをちゃんと受け止めたものにしたいと思っています」

小山田「青山にお店作っていましたよね? あの辺りを通っていたらWAVEのロゴがあるから『何事だ!?』と思って。それで瀧見さんと会ったらショッパーを持っているから、なんで持ってるの?って聞いて吉井さんたちのことを教えてもらったんです」

吉井「ミスターのショップでWAVEのポップアップをやって、ショーに出たTシャツを売った時ですね。Tシャツを売るならどうしてもあのショッパーを再現して入れたくて、当時の現物をヤフオクとかで探したんですけれど誰も持っていなかったんですよ。でも瀧見憲司さんが持っていたんです! さすが変態だなって(笑)。それを借りて、近い色とかじゃダメだから、完全に同じになるように色から作って再現しました」

小山田「そうだね、そこまで求められますよね。WAVEっていろんな人の思いがあるから」

吉井「PARCOで展開するWAVEではTシャツなどは販売するんですが、その前にまずは名前を知ってもらおうと400台のモジュラーシンセを集めて壁を作って、写真をとって思い出にしたくなるような場所にしました。あと、通り沿いに自販機を置いて、動物性ミルクじゃないアーモンドミルクを使ったオリジナルのWAVE缶コーヒーを作ったり。でもそこはWAVEの存在を缶コーヒーにしやがって、とか怒られないかとかビクビクしてるんです。ゆくゆくは音楽をピュアにやる場所作りや表現としていきたいので、小山田さんにもぜひご相談させてください!」

小山田「はい、僕にできることがあれば」

interview at QUATTRO LABO(SHIBUYA PARCO)

小山田圭吾

1969年東京都生まれ。1989年フリッパーズ・ギターのメンバーとしてデビュー。バンド解散後、1993年Corneliusとして活動開始。現在まで6枚のオリジナルアルバムをリリース。自身の活動以外にも国内外多数のアーティストとのコラボレーションやリミックス、プロデュースなど幅広く活動中。
http://www.cornelius-sound.com/index.html

@corneliusofficial

ショップ名
WAVE
フロア
渋谷PARCO 1F
取り扱いアイテム
ウィメンズ/メンズ/服飾雑貨/音楽/コーヒー
電話番号
03-6455-2214
公式ブランドサイト
https://wavetokyo.com/
公式SNS
@wave_tokyo

80〜90年代を中心に“音と映像の新しい空間”としてビル1棟丸ごとカルチャー発信する存在だった「WAVE」。現在の六本木ヒルズの場所にあった1棟6フロアのビルは世界中より厳選された音楽が集められたレコードショップ、一般的な映画館では扱われないような作品を果敢に醸成するミニシアターのシネ・ヴィヴァン、レコーディングからコンピュータ・グラフィックスのためのスタジオなど音楽と映像のコンテンツで埋め尽くされた他にはない空間で、知的でハイセンスなカルチャーを発信していた。2019年、WAVEは新しいプロジェクトとして再スタート。音楽やファッションだけにとどまらない様々なカルチャーミックスをベースにしたTEST HOUSE(実験室)として情報を発信していく予定。2019年11月22日、渋谷PARCO1Fに「MICRO WAVE」というサブネームをつけた kiosk スタイルのショップをオープン。

ショップ名
MISTERGENTLEMAN
フロア
渋谷PARCO 3F
取り扱いアイテム
メンズ
電話番号
03-6455-2399
公式ブランドサイト
https://www.mrgentleman.jp/
公式SNS
@mistergentleman_aoyama

オオスミタケシと吉井雄一のデザイナーデュオによるメンズブランドとして2012年にスタート。2人が日常で好むベーシックスタイルを追求し、ディテールやシルエット、コーディネイトに少しの違和感を加える事で生まれる新しいバランス感を持ったスタンダード、「ポストモダンクロージング」を提案。

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