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COLUMN:若い頃から「老後の楽しみ」と小西くんはよく言っていた。

小西康陽インタビュー&ディスクレビュー(2)
若い頃から「老後の楽しみ」と小西くんはよく言っていた。

文|岡本 仁

__ビルボードでのライヴ以降のインタビューでは、シンガーソングライターのことをたくさん話していたように思いますが。
小西 そうですね。やっぱりシンガーソングライターのレコードっていうのは、ぼくにとってはすごいデカかったですね。中学2年の夏にクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングを聴いて、中学2年の秋にはっぴいえんどを聴いて、高田渡さんとかのレコードも聴いて、そこからどんどんシンガーソングライターのレコードに傾倒していって、で、結局、レコードマニアになったのって、輸入盤でそういうシンガーソングライターのレコードを集めるようになってからだったんですけどね。なんか、それって、流行っていえば流行だったじゃないですか、時代のね。でもね、ただ好きっていうところから、もう少し深く好きになった頃に、そういう音楽に出会ったのは、自分にはすごい影響があったんだなと思いましたね。

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__そんなに大きな影響を与えていたんだというのは意外でした。
小西 ぼくにとっては、いわゆるシンガーソングライターのレコードと、その少し前の時代の、ソフトロックとかね、サイケデリックとかアシッドフォークとか、そういうのとそんなに違うジャンルじゃないんですよね。結局、ジェイムス・テイラーが、シンガーソングライターのブームをつくった人ですけど、彼もフライングマシーンというバンドをやってたし。あの頃、シンガーソングライターとして活動してた人たちって、みんな前にバンドやってて、バンドが成功しなくてソロになった人が多かったですよね。そう考えると続きというか。ロン・コーネリアスがやってたバンド、知ってますか?
__え、バンドやってたんですか?
小西 去年、知って衝撃を受けましたね。あまりにも素晴らしくて。それがね、いまどき、いちばん探しにくい名前なんですよ。ウエストっていうの(笑)。ウエストで、ファーストがウエストっていうタイトルで、セカンドが、セカンドがもう最高のレコードなんですけど、「ブリッジ」っていうレコードなんですよ(爆笑)。
__そういうふうに遡ろうって、いままで考えたこともなかった。いまDJはぜんぜんやれていないですよね? そのことに対して欲求不満みたいなものが溜まりますか?
小西 うーん。ぼくの場合、DJをやれなくなると、そのDJ向けのレコードをチェックする時間が、ひとりで楽しむ音楽を聴く時間になっちゃうんで、そういう意味では、逆にいま、ぜんぜんDJしたいモードになんなくて。ほとんどこのままDJとしてフェイドアウトするのかなって感じなんですけどね。

__ビルボード東京のライヴでは、何か手応えというか達成感みたいなものはあったんですか?
小西 うん、そうですね。自分でもおこがましいんですけどね、『わたくしの二十世紀』というレコードをつくった時に、ある種の達成感がありましたね。ようやく、こう、人に自分の作品ですって言って恥ずかしくないものがつくれたかなって。もっと言うと、この一枚だけで忘れられてもいいかなって。で、『わたくしの二十世紀』をつくった人はどういう人かなってところに、この間のライヴ盤があるっていう感じかな。背中合わせというか、これをつくった人が歌ってるレコードっていう。だから、うーん、わりと自分の中では、この二枚ができたことは大きいんですよね。まだまだ何枚かつくりたいレコードがあるんですけど、でもいろんな理由でできなくなっちゃったとしても、まあ諦めはつくかなって感じぐらいに、納得いくものができたっていう感じはありますね。
__ぼくが自分はいま「老後」なんだなって思うようになってから、最初に落ち込んだのは、これからは残り時間を気にしてものをつくるんだろうなってこと。残り時間を先に決めてしまうと、発想がそこで止まる。でも、いくつになってもそうならない人っていたと思うんですよね。絵描きとか90過ぎても現役で、若い頃よりもすごくいいっていう人もいて、制作意欲をそのまま減衰させずにキープしてるんだろうなと思うと驚く。
小西 うん。でも、ぼくが自分でわかってるのは、やっぱりなにかこう、レコードを聴いたりすることによって、自分もこういうものをつくってみたいってのが、常にそういうのが始まりだから、そういうものと出会ってるうちは大丈夫かなって思いますけどね。

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『わたくしの二十世紀』Pizzicato One/ピチカート・ファイヴ時代のナンバーを中心に構成されたセルフ・カヴァー集(ユニバーサル ミュージック )

__なんかぼく、この頃、いろんな人に会って、必ず訊くのはこのことなんですよ。自分は何歳で死ぬんだろうってなんとなく思った時に、ブレーキがかかって止まりませんか? という話。
小西 でも、そもそもね、死ぬ直前まで飽くなきクリエイティヴィティというのが、いいことなのかどうかもわかんない。もうずいぶん前に、自分は終わりましたって言えるんなら、それは格好いいと思いますけど。なんかその辺もね、シンガーソングライターのことを思うんですよ。ピチカート・ワンってさ、いま5年にいっぺんなんですよ、出すのが。もっと出せばいいじゃないかと言ってくださる人もいるんですけどね。でもさ、昔、シンガーソングライターのレコードをすごく集めていた時にさ、あまり出してくる人って嫌じゃなかったですか? ジェリー・ジェフ・ウォーカーとか、『FIVE YEARS GONE』だけ出してればすごく良かったのに、そのあと、どんどんつまんないレコードを出して、ああいうのって、聴かなきゃなんないし、迷惑でしょう? だからね、ほどほどにのほうがいいような気がするな。ピチカート・ワン、三枚出てるけど、三枚で終わっても、ま、いいかなとも思うし。もう一枚つくりたいんですけど。まあ、つくれたらラッキーくらいな感じ。
__遡って聴いていくと、ぼくは『カップルズ』がすごく好きなんですけど、いろいろ著書を読み直している時に、「カップルズ2をつくることをいま決心」とどこかで書いていて、それは素晴らしいアイデアだなと思って、いまだったらどういうふうにするんだろうってのが気になりますね。
小西 あのね、もしかしたらね、この『わたくしの二十世紀』こそがね、『カップルズ2』をやろうとして失敗したやつなんですよ。1曲ね、あるコーラスグループの方たちとデモをつくってみたんです。そしたらなんか上手くいかなくて、あ、これじゃダメなんだなってちょっと思って、で、違うアプローチをしているうちにこのレコードになっちゃったんです。だからそんなに設計図を描いてつくったレコードでもなくて、行き当たりばったりなレコードだった。
__これが『カップルズ2』かもしれないというのは、すごく納得がいきます。続編という話でいうと、『ブルータス』の「東京の合唱」の連載が終わって、しばらく休んでからもう一回やるっていうふうに予告をぼくが書いて、結局、再開は実現できないまま。ただ、ぼくは「レナード・コーエンの偽日記」がめちゃくちゃ好きで、これが「東京の合唱」の続編かなって思ったんですけど……?
小西 (苦笑)どうなんでしょう。あれはでも、中身関係なくレコードジャケットが載っているっていう、あのアイデアだけですよね。
__いや、でもレコードジャケットだけ眺めていても、ストーリーが浮かんでくるし、そういう意味で新しいレコードガイドだなって思いながら読んでいたんですけど。ここに載っているレコード全部欲しい、持ってるやつも含めて。
小西 いや、それが理想の読まれ方ですけど(笑)。
__次につくりたいものは、いまは話す気ないですか?
小西 うーん。これは秘密だな、なんて(笑)。
__まあ、秘密はあったほうがいいですね。
小西 書き下ろしの曲ばかりでつくろうと思ってて、まだ半分くらいしかできてなくて。

小西康陽インタビュー&ディスクレビュー(1)はこちら
小西康陽インタビュー&ディスクレビュー(3)はこちら
小西康陽インタビュー&ディスクレビュー(4)はこちら

小西康陽
こにし・やすはる|1959年、北海道札幌市生まれ。1984年よりピチカート・ファイヴとしての活動を開始し、幾度かのメンバーチェンジを経て2001年に解散するまでリーダーをつとめた。2011年より、PIZZICATO ONE名義でソロプロジェクトをスタート。これまで楽曲提供、プロデュースしたアーティストは数知れず。

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