COLUMN:若い頃から「老後の楽しみ」と小西くんはよく言っていた。
小西康陽インタビュー&ディスクレビュー(1)
若い頃から「老後の楽しみ」と小西くんはよく言っていた。
文|岡本 仁
小西くんと話すのは、ずいぶんと久しぶりだから、自分のことしか喋らなくなると思った。だから、事前にメールを事務所宛に送った。そこに書いたのはこんな感じのことだ。自分はある時期、ピチカート・ファイヴの近くには居たけれど、ピチカート・マニアではなかったし、いろいろなものを聴いたり聴き続けていたわけでもない。ただ、自分にとってはジャストのタイミングで、ビルボード東京でのライヴがあった(2019年10月11日に東京で、10月15日に大阪で)。それを聴きに行って大感激した。その後、ピチカート・ワンのインスタグラムのポストなどを見ながら、いろんな人が小西康陽くんにインタビューしている記事を読んで、特に年齢が近いから高橋健太郎くんのが自分的には面白くて、なるほどなるほどと読んでいたのだが、ここで『わたくしの二十世紀』に小西くん自身が歌っている曲が収められていたんだということがようやくわかり、慌てて手に入れて、毎晩のように聴いてる。音楽的にはそんなに深い関心を持って聴いてこなかったここ何年間の小西くんを、いま隙間を埋めるような感じで、繰り返し聴いているという状態。そんな訳で、ぼくはいままさに「小西康陽ブーム」ど真ん中にある。包み隠さずそう書いて、OKの返事をいただいたインタビューがこれ。
写真:岡本 仁
__純粋にファンとして小西くんに会うのは初めてかも。何を訊いたらいいんだろうと思いながら、探り探り喋り始めてますけど、お手柔らかに。自分はもう完全に老後に入ったなっていうふうに思うようなことが続いて、そういうタイミングにあのライヴを聴いて、「そういえば小西くんは“老後の楽しみ”って、何か事あるごとに言ってたな」というのを思い出し、じゃあ小西くんに老後についての話を訊いてみたいと思ったんです、老後のぼくのために。そういう意味ではあまりいいインタビューじゃないかもしれない(笑)。「老後の楽しみ」って言っていたのは憶えていますか?
小西 いやー、岡本さんのメールで想い出したって感じです。
__『ぼくは散歩と雑学が好きだった。』や『わたくしのビートルズ』にも、老後を意識するような記述があったと思うんですね。実際、ご本人にとっての老後は既に始まっていると思いますか?
小西 うーん(しばし沈黙)。準備中ですね(笑)。自分にとって老後っていうのは楽しみしかない時間って思ってるので、そのためにいまあくせく準備しているというかね、まだ仕事もしているし。完全に老後のことは見据えているけれど、まだ老後じゃない、その準備中って感じですね。具体的に、ぼく札幌に帰ろうと思ってるんです。で、レコード聴いたり本を読んだりしてブラブラしたい。
__ぼくと小西くんは、小西くんも憶えてないと何かに書いていましたし、ぼくも憶えていないんだけど、実は札幌の〈和田珈琲店〉で初めて会ったらしいんですよ。はっきりぼくが憶えているのは和田博巳さんを介して、たぶん渋谷の〈マックスロード〉で会った。
小西 そうでしたっけ?
__その時に『テッチー』で小西くんがやっていた連載のコピーをもらって、ぼくは当時『エル・ジャポン』編集部に在籍していたから、すぐに原稿をお願いした。バイト仕事みたいな本にもハワイのエッセイをお願いして、その文章が素晴らしかったんで、その後の関係が出来上がったと思うんです。とはいえ、札幌の人なのか東京の人なのか、和田さんと和田珈琲店のことがあったから、すごく札幌の人というイメージが強かったんですけど、でも、東京のほうが本拠地というか、そう感じているのかなと思っていました。
小西 うーん、どっちとも言えないですね。わりと、うん、あーでも、どうだろう。うん、いまはなんか完全にもう、自分は札幌の人間で、札幌に戻るんだという気持ちになってるかな。
__何かきっかけがありました? 例えば、ご両親のこととか。
小西 (長い沈黙)いや、両親と話す前から、自分は将来的に札幌に帰ろうと思ったんですよね。それね、遡って考えるとね、やっぱりぼくにとって、2011年の東日本大震災というのが大きかったかもしれないですね。あの時にちょうどピチカート・ワンの最初のレコードをつくっている最中で、で、直後にリリースした。あの頃ね、すごく札幌に帰りたいっていう気持ちになったんですよ。札幌に帰ってロック喫茶でも開くか、みたいなね(笑)。それからかな、意識しだしたの。でも喫茶店は別にもう、やんなくていいけど(笑)。
__書いているものを読むと、古いことを憶えていて、それについて書くという感覚があるのかなと思っていました。
小西 うーん、ていうかね、特に音楽のことに関して言うと、自分は完全にある時期で止まってますよね。その時期だけのことを、わりと深く掘っていってるんですよ。だから、その意味においては、人が聞いたら懐かしい話をしてると思うかもしれないけど、いま自分にとって大事な話をしてるんでという、そんな感じ。
__『前夜』に収められたライヴを拝見したんですけど、それを聴いた時に、ご自身が前に書いた曲をやっているはずなんだけど、そこに懐かしさが入り込む余地はぜんぜんなくて、ぜんぶ新しいものとして聴いている自分に驚きました。
小西 まあ、懐メロとして成立するようなヒット曲がなかったから(笑)というのもあるんですけどね。
__(笑)なんか、音楽的にはあるところで止まっていると、いまおっしゃいましたけど、新しいことを打ち出したり挑戦していかないといけないというプレッシャーみたいなことはないんですか?
小西 うん(沈黙)、もうないかな。アレンジャーの仕事が多かった時っていうのはね、常に新しいものをチェックしてたような気がするし、でもなんか、いちおうチェックするけど、こういうのは自分では買わない、買いたくないっていうものが中心になってきてから、別にこれ、ぼくがやらなくてもいいんじゃないかって。
__自分が音楽的にできることの限界を感じたことは?
小西 ああ、それはいつも感じてますけどね(笑)。(長い沈黙)クラブのDJなんですけどね、実はほとんどのクラブミュージックが苦手で(笑)、いわゆる12インチシングルとかで流通するようになった頃からのクラブミュージックは好きじゃなかった。DJに関して言うと、この10年間ぐらい7インチシングルだけでやってるんですよ。それでようやくしっくりくるようになったというか。その辺から、アレンジャーとしては、自主的に一線を退いたのか、時代に流されて「あっちに行け」ってなったのかわかんないけど、もうアレンジャーとしてはダメかなと思うようになりましたね。アレンジャーを廃業すると、結構もう持っててもしょうがないレコードばっかりなんで(笑)、そういうのはなるべく売るようにしてるんですけど。で、札幌に帰る時には、ほんとにいつ聴いても好きって思えるレコードだけをね、持って帰りたいと思ってる(笑)。
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