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Interview 箭内道彦×マンボウやしろ×片平里菜×高橋優|「風とロックで みんな笑ってる」

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Interview 箭内道彦×マンボウやしろ×片平里菜×高橋優|「風とロックで みんな笑ってる」
Interview 箭内道彦×マンボウやしろ×片平里菜×高橋優|「風とロックで みんな笑ってる」

PARCOとも渋谷とも、深い繋がりのあるクリエイティブディレクター箭内道彦によって2003年に資本金¥871で設立された「風とロック」が、今年5月2日(火)に20周年を迎える。若者から絶大な人気を集めるフリーペーパー「月刊 風とロック」、観客とアーティストの距離が世界一近い福島の村祭り「風とロック芋煮会」、毎週土曜深夜27時のJFN/TOKYO FM「ラジオ風とロック」、タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」、PARCO「SPECIAL IN YOU.」、ゼクシィ「Get Old with Me.」… メディア、映像、イベント、広告、アート、その境界を横断しながら、「風とロック」は、唯一無二のクリエイションを常に生み出し続けてきた。

ゴールデンウイークにPARCO MUSEUM TOKYOで開催される記念展、愛と伝説の黄金週間『風とロックで みんな笑ってる』。箭内がその準備に追われる只中、「風とロック」にゆかりの深い三人を箭内が渋谷PARCO B1F CHAOS KITCHENに誘って、三軒はしご酒。かつて「ラジオ風とロック」の放送作家を志願して務めたという演出家・脚本家・ラジオパーソナリティのマンボウやしろ。箭内と同郷の福島県出身で「風とロック芋煮会」の一座常連でもあるシンガーソングライター片平里菜。そしてデビューから箭内がプロデュースを務める高橋優。2010年元旦、旧渋谷PARCOスペイン坂スタジオからの風とロック新春特番の生放送の中で名曲「福笑い」を高橋が作り上げ、放送内で歌ったエピソードは有名だ。気の置けない同志四人が集った、酒とロック、食とロック。フリーペーパー「月刊 風とロック」さながらの、ノーカット&ノー編集スタイル、通常の二倍以上の文字数でお送りする今回のPEOPLE “風とクルーズ”。写ルンですを持って互いを撮り合うフォトグラフも風とロックスタイル。風とロックのこと、展覧会のこと、そして渋谷のこと、その他のこと、笑顔にあふれたカオスな夜。

風とロックで みんな笑ってる。明日がいい日になりますように。ここでしか見ることのできない、みんなが知ってるあの人の笑顔。世界が平和でありますように。

Photo&Text
Michihiko Yanai
Edit
RIDE Inc.

――このたび「風とロック」は20周年を迎えます。振り返って、いかがですか?

箭内:『風とロック』が20周年で、ラジオ番組の『Skyrocket Company』が10周年、片平里菜がメジャーデビュー10周年になります。

一同:おめでとうございます。

箭内:何周年って、本人たちがドキドキしているより、まわりからするとどうでもいいことじゃないですか。とはいえね。

やしろ:優くんの何周年とかはないですか?

箭内:執念深さみたいな(笑)。

やしろ:そっち漢字違いの執念?(笑)。何に対しての執念?

片平:(笑)。

高橋:世の中、他人全般への執念(笑)。

やしろ:そうじゃなくて、何かないの?歌い出してとか、デビューしてとか。

高橋:2010年デビューなので、あと1年で14周年になりますね。

やしろ:2013年に何か大きなことはなかったんですか?

高橋:初めて武道館でライブをしたのが、2013年です。

一同:武道館10周年!

高橋:やった!それで行こうかな。

やしろ:レモン搾りましょうか?一応飲み会だったら、搾ったりしますよね。

箭内:いいっすか、すいません。

高橋:飲み会だったらレモンを搾る役はあるんですか?

やしろ:一応箭内さんを女性と見立てた話ですよ。

高橋:ああ、なるほど。

箭内:一軒目だけは、お待たせしないように先に注文してくれていました。ここは地下が『CHAOS KITCHEN』(カオスキッチン)と言って、その中でもおいしさに定評のあるお店です。それではいったん乾杯!?

一同:乾杯―!おめでとうございます。

箭内:展覧会に話を戻そうか(笑)。PARCO、渋谷、展覧会、あとこのフロア、大切です。
PARCOと言えば高橋なのは、『福笑い』という曲を生んだ場所なんです。

高橋:TOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオですね。

箭内:『風とロック』の新春特番で、2009年の大晦日から2010年の元旦。そこで生んだんだよね。すごく寒いなか高橋が非常階段に行って作った。4時間か5時間の生放送だったよね。

高橋:5時間ぐらいやってたと思います。その日のメールテーマが「この世界を変えるためには、何が必要だと思いますか?」で、いろいろなメールがくるなかで、即興をやっていたんですよ。箭内さんから「今のやつ曲にして」と無茶振りがきて、それで歌って。でも、最後にエンディングの曲が欲しいとなって。それの曲だけは丁寧に作って欲しいから、いったん30分か1時間ぐらいスタジオを出て作ったんですよ。

やしろ:そんな二段階の無茶ある(笑)?! ちゃんと曲を作るのも同じ日に。

箭内:スペイン坂と言ったら、今はないけど、マンボウが『Skyrocket Company』を始めたのもスペイン坂スタジオ?

やしろ:スペイン坂です。もう少し個人的な話になると、渋谷公園通り劇場という吉本の劇場があって、そこで1997年にデビューしたんですよ。みんなでその辺で買い物をしたり、ご飯食べたり、ネタ合わせをしたり、この通り自体が青春の場所なんですね。そこにPARCO、スペイン坂スタジオで2013年にラジオをやらせてもらうようになった時は、自分の原点の場所に帰ってきた感じがありました。

箭内:ある種の凱旋だ。

高橋:ご自身の番組をやる気負いはなかったんですか?

箭内:この人は元々気負いしないよ(笑)。

やしろ:ありますよ(笑)。

箭内:むしろ今日はちゃんとやってくれてる。自分の番組は粛々とやるけど、優しい人だから、呼ばれたところではちゃんとやろうという感じが伝わってきてるよ。

やしろ:でもさっき飲んできちゃいましたよ(笑)。

一同:(笑)。

高橋優さん撮影 片平里菜さん撮影

――それぞれの『風とロック』は、どのようにはじまりましたか?

箭内:『風とロック』について言っておくと、高橋の『風とロック』とのはじまりはなんだったか覚えてる?

高橋:一番最初の『風とロック』は、もしかして、佐藤健と対談したときかな?

箭内:『月刊 風とロック』ではなくて、2009年の『風とロック』のフェス、郡山駅の駅前でお出迎えをしたのがあれが最初かな。

高橋:もっと大きくくくると、僕の初めては原宿の事務所ですよね。あそこも『風とロック』でしたよね?テラスで箭内さんと対談したのが僕の初めての『風とロック』だと思います。

やしろ:僕は優くんと箭内さん、どちらかというと、プロデューサーとアーティスト、年齢的に先生と生徒ではおかしいけど、師弟関係ぐらいのイメージなのかなと思ってましたよ。

箭内:友達だよ。

高橋:僕の中では新・人間関係でしたよ。親でも兄弟でもないし。もちろん尊敬はしてますけど、師弟関係でくくられてしまうと逆に寂しく感じちゃうな。

箭内:僕も師弟関係とは思ってないよ。

高橋:もっと深いし、もっと大切。

やしろ:親友みたいな。

高橋:でも友達ともまた違うような。

箭内:確かに、兄弟でもないし、いとこでもないし。親子でもない。

高橋:もちろん大好きは大好きですけど、そういう意味では新しいタイトルをつけたいなって。

片平:不思議な関係ですね。

箭内:『風とロック』ってみんなにとって何?アティチュードであるとか、会社であるとか。
片平里菜ちゃんは、2013年の『風とロック芋煮会』に呼んで、あの頃はまだ福島に住んでいたね。

片平:そこから毎年出させていただけるようになって。

やしろ:野球やってましたよね?

箭内:やってるやってる。野球一番本気でやってるのは里菜ちゃんだよね。

片平:そんなことない、一番ルールわからない。

高橋:ちゃんと当たるしね、ヒット打つよね。

箭内:ミュージシャンで野球をやるんだけど、ピッチャーが前に出てきて下投げで投げたら、すごい怒って。

やしろ:ばかにするなと。

片平:違うんですよ、バッティングセンターで速い球を打つ練習していったんですね。それなのに、山なりだと打ちづらくて。

箭内:マンボウは『ラジオ風とロック』の放送作家だったの。

やしろ:2年ぐらいやらせていただいて、2012、13年ぐらいの話ですね。

高橋:ちょうど僕が武道館やった頃ですね。

やしろ:それこそ、優くんの武道館に家族も親戚も来て、最後に挨拶するのが箭内さんとか関係の近い人ってとき、それと同じ時期に怒髪天さんも初めて武道館やるってなって。僕は『風とロック』の作家でいて、同時に怒髪天の増子さんとは、もともとスペースシャワーTVでも一緒に番組をやっていて関係性もあったんだけど、仕事で武道館に行けないかもと思っていて。そしたら、作家で行った『風とロック』の収録で、箭内さんがこれは仕事がどうこうじゃなくて、僕が行けるのか行けないのかなんだと。冠婚葬祭だと。優くんもそうだし、怒髪天さんも、本当に親しい間柄のライブはライブではなくて、冠婚葬祭だと。だから行かないって選択肢がないっていう。それで、なるほどと思って、仕事を調整して行きましたね。
なるほど、冠婚葬祭と思えば行けるなと。そこは『風とロック』の携わっていたラジオ番組の時に箭内さんに教えてもらったこと。

マンボウやしろさん撮影(立飲みビールボーイの壁)

――「渋谷PARCO」でのエピソード、「渋谷」の街での忘れられない思い出はありますか?

箭内:渋谷の思い出は話したもんね。片平里菜ちゃんは東京に来てそんなに経ってないよね。と言っても、ここ3人は東北の田舎者だね。

片平:はじめて高校生で路上ライブをやったのが福島ではなくて渋谷でした。

箭内:え、そうなの!

やしろ:意外!

片平:ボイトレで東京に通っていて、帰り道に度胸試しで、南口のバスターミナル、モヤイ像のところでやりましたね。あそこの地べたで生音で。

箭内:どうだった?

片平:すごい怖かったですね。

箭内:ギターケース置いて?いくらぐらいもらってたの?

片平:覚えてないけど、2〜3000円ぐらいかな〜。

高橋:何が怖かったの?

片平:路上ライブをするという行為自体が怖くて、やるかやらないかずっと迷っていて。それで頑張ってやってみようと立ち止まって、座ってやりましたね。

高橋:福島じゃなくて、初めてが渋谷だもんね。意外、ボイトレに通っていたのも意外(笑)。

箭内:渋谷PARCOで洋服買った?

片平:買った買った。福島から出て来て、東京はどこで洋服買っていいのかわからなくて、とりあえずPARCOで買った。PARCOだったら流行のイケてる服があるかなって。

やしろ:僕は芸人をやるようになって、お芝居のようなこともいろいろやらせてもらう中で、PARCO劇場に憧れがあって。PARCO劇場は三谷幸喜さんがやっていたりすごいところですよね。自分が出演者なのか演出家なのか、それか脚本家で、いつかやってみたいという気持ちがずっとあって。本多劇場で早めにやらせてもらって、紀伊國屋ホールでもやらせてもらったけど、でもPARCO劇場にだけは届かなかったですね。最近はそっちはやってないですけど、そういう意味ではいつかPARCOでという思いはありましたね。

箭内:前のPARCOが閉館する直前に、ラブレターズという朗読劇に読んでもらっていて、木村佳乃さんと共演させてもらいました。

やしろ:すごい!

片平里菜さん撮影 片平里菜さん撮影

箭内: 毎日ラジオをやってるじゃない、コンディションってありますか?今日は口が動かなかったとか。

やしろ:それはありますよ。あとはディレクターさんによって調子が変わりますね。ラジオで話す人って、音に影響を受けて話し方が変わる人と音の影響を受けない人の2タイプがいると思うんですけど、僕は『SCHOOL OF LOCK!』から入ったので、割と音に影響を受けやすいんです。だから、BGMの入れ方とかその日のディレクターさんによって体調が変わっちゃいますね。

高橋:体調以外で整えるものはありますか?メンタルとか。

やしろ:メンタルはありますね。どの職業も一緒かもしれないですけど、夕方の番組をやっているので感受性を少し殺してやってます。曲を聴いてたまに泣きたくなるときがあるんですけど、そういうときってラジオの番組だと年に一回あるかないかじゃないですか。夕方なので、仕事しながら家事をやりながら聞いている番組なんですよ。

箭内:俺が行って泣いちゃったことあったよね。

やしろ:箭内さんが来ると油断しちゃうというか、駄目なんですよ。箭内さんが来ると1/2ぐらいで泣いてますよ。『Skyrocket Company』とか、いろいろな仕事の不安やストレスを吐露していい人が来てくれたと思って。

高橋:気がつくと、心のシャツのボタンを取るのがうまい人、体内に手を入れられている感じがある。

やしろ:脱がせ上手。

箭内:里菜ちゃんは、10周年を記念して、4月からラジオ番組が始まるの。

片平:地元福島で始まります。

箭内:ラジオの先輩たち、アドバイスはない?
俺は、初めて自分がラジオの番組を始めたときに、いろいろな人がアドバイスをしてくれる企画があって、たくさんの人に話していると思うな、というのと、1人に話している感じにもなるなと言われて、5人ぐらいに話しているつもりになれってアドバイスをもらったの。

やしろ:5人ぐらいって、いいアドバイスですね。

箭内:長くラジオをしたあとに聞くと、面白いよね。あと言われたのが、普段通りに話すと暗く聞こえるよって言われて。

やしろ:確かにトーンを少し上げないとね。でも、オンエアする時間帯にもよるんですよね。思うんですけど、里菜さま、すいません里菜さまって呼んでます。里菜さまの声のトーンでいくと、日が落ちた後の時間帯だったら普通のトーンの方が良かったりするのかなー。

高橋:何で里菜さまって呼んでるんですか?

やしろ:初めて会った時に、もう売れてる人だったの。里菜さまが18歳で『SCHOOL OF LOCK!』の『閃光ライオット』の予選に出てたのを、たまたま福島で見ていて。まだ素人だったけど、そのときにはもう売れていた、見た景色が売れてたの。この人、売れるんだろうなって。そこからは里菜さま。12年里菜さま。

片平:うれしい。

箭内:話を戻すと、マンボウは2011年の『LIVE福島 風とロックSUPER野馬追』に来てくれたんだよね。

やしろ:その頃から、『風とロック』を通して福島のことを少しずつ知ることになって。野馬追も僕は知らなかったんですよ。

箭内:そもそもの野馬追の祭りね。

やしろ:翌年に相馬の野馬追に行きました。その頃にいろいろ教えてもらって、ライブも良かったですね。あとは、俺は作家として『風とロック』のイベントに参加していて、皆さんはミュージシャンとしているなかで、僕はディレクターの横川さんと、うろうろしたり、話したりしていて。

箭内:そうだ、フィーリングカップル5対5をやってくれたんだ。

<NETX>Interview 箭内道彦×マンボウやしろ×片平里菜×高橋優|「風とロックで みんな笑ってる」(後編)

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